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[映画] 君も出世ができる

和製ミュージカルの異色作『君も出世ができる』(1964, 須川栄三 監督)



作曲は現代音楽界の巨匠、黛敏郎。ここではシンフォニック・ジャズやラテンから和風テイストまで織り交ぜたポップなテイストの音楽を提供している。そして詞は平易だがピリリと光る言葉の達人、谷川俊太郎。「日本、日本、ニッポンポン!」などと語呂の良い歌詞が耳に残る。


物語は、旅行会社でギラギラと出世を目指す野心的な山川(フランキー堺)と、出世には興味がなくのんびりした後輩の中井(高島忠夫)の、サラリーマン生活を描き出す。

なにしろ1964年の作品とあって、今となってはあまりにも遠くなってしまった「高度経済成長時代の日本」が、新鮮だ。

朝鮮戦争特需の好景気から工業製品がバンバン生産され、それを売って会社は儲かり、給料をもらった社員は新製品を買う…というサイクルで経済が回り、右肩上がりに景気が良くなっていった時代。

この時代の工業製品で有名なのが、いわゆる「三種の神器」(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)。家電が普及したことで、家事に費やされる時間が劇的に減り、結果として女性の社会進出が進んだといわれる。

本作でも、オフィスにはたくさんのOLたちが働いている。(ちなみに、会社に勤める女性をさす"OL=オフィスレディ"という言葉が一般公募で選ばれて流行語となったのは、本作の前年である63年)

それどころか、女性の上司(雪村いづみ)も登場。64年当時、現実にはまずありえない荒唐無稽な設定だったのではあるまいか。説得力を持たせるため、映画では「アメリカで勉強して帰ってきた社長令嬢だから」という理由がつけられている。



この「外国帰り」というのがまた、当時としては稀少な事であった。太平洋戦争終結後、ながらく民間人の海外渡航は禁じられていた。それがようやく自由化されたのが、まさにこの映画の64年。

幸運にも海外渡航した者は、帰国して何かと「アメリカでは…」「あちらでは…」と外国の事をひきあいに出したという。いわゆる「外国かぶれ」だ。本作のハイライト・ナンバー『アメリカでは』は、そうした風潮を皮肉った曲。

そして、この64年と言えば、東京オリンピック。日本人が海外に渡るだけでなく、海外からも観光客が大量に訪れ始めた年だ。

海外からの観光客を収容するため、宿泊施設やレジャー施設の開発ラッシュも急速に進んだ。(たとえば巨大ホテルの先駆であるホテル・ニューオータニは、オリンピック協会の要請を受けて64年に開業した)

これに先駆けて63年には「観光基本法」という法律が制定されている。これには、オリンピック観光客から外貨を獲得するために、国策として観光資源を整備する目的があった。

それだけでなく、一般の日本人にも「観光」の需要は高まっていた。サラリーマン=ホワイトカラーという職業が一般的になり、女性も働いて所得を持つようになったことで、国民はようやく「余暇」というものを持ち始めていた。余暇を過ごす場所としての「観光地」は、切実に求められていたのだ。

この映画は、海外観光客を誘致しようという山川たちの営業作戦を描くのだが、同時に彼らが北海道や箱根など全国各地の自然の中に、新たな「観光地」を作り出していく様子も描き出している。



また、主人公の山川がスバル360を駆って箱根ホテル小涌園(外国観光客専用ホテルとして59年に開業)に到着する場面も印象的だ。

トヨタ自動車が「マイカーローン」というものを初めて提案したのが、本作の前年である63年。これによって、サラリーマンでも自動車を持つという夢が現実になった。



このように右肩上がりで良い事づくめのような世界観から、映画のムードは後半で一変する。

営業作戦が功を奏さず大失敗し、上司に怒鳴りつけられた山川。

僻地に左遷される事になった中井を相手に酒場でクダを巻いているうち、同じような下積みの社畜サラリーマンたちと合流。会社がなんだ家族がどうしたと、怒号とも哀歌ともつかぬ大合唱が始まる、圧巻のクライマックス。

高度経済成長の時代とは、国土の乱開発、急激なモーターリゼーションによる交通環境の悪化、都市問題、公害… 実は水面下で様々な歪みが拡がっていった時代でもあった。

その歪みが、やがて60年代末の学生運動、動乱の時代へとつながっていくわけだが、ほとんど暴動のようにも見えるこのクライマックス・シーンのドス黒いエネルギーには、既にそれを予感させる空気が溢れている。



とはいえ、物語のラストは一発大逆転。山川も中井も首尾よく出世できるという、フィクションならではのハッピーエンドが用意されている。

だが大資本を注ぎ込んで制作されたこの映画には、興業的に惨敗という現実の結末が待っていた。制作会社の東宝はその後、ミュージカル映画の制作から撤退。またTVの普及にともなって、映画産業自体が急速に衰退していったのも周知の通り。

日本映画黄金時代の最後の大花火の一つとして、歴史に残る作品と言えるだろう。

(2013. 4.27)

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