世の中には、何かを思いつくのが得意な人間もいれば、誰かの思いつきを形にできる人間もいるし、両者をマッチングできる人間もいるから、うまく回っている。
思考回路は全然違うのに力を合わせられるのは、目に見えない他人の思考を自分ごととして想像したり、仮定したり共感したりできる、脳や心の働きのおかげだ。
しかし、その脳や心を社会生活の中でいきなりマックスまで解放してしまうのは、いささか危険すぎる。
みんながみんな自由に自分を解放してしまったら、めちゃくちゃなことになりかねない。だからみんな、ふだんは想像や感情にリミッターをかけ、自己規制することに慣れきっている。
詩や演劇、ダンスや音楽、映画、アニメ…… さまざまな「芸術」の一つの大きな役割は、この「リミッター」を解除してくれることだ。
それによって拡張される「他者への共感力」や「未知への想像力」は、じつは共同体の存続にとって不可欠なものだ。多くの人間がその能力を持ったおかげで、人間社会は大きな共同体を作り上げ、繁栄を続けてきた。
直接の生産効率には関わらない「不要不急」な芸術や創作や表現行為を、人類は決してやめずに続けてきた。逆に言えば、そういったあの手この手で常にブーストし続けなければ消えてしまうほど、共感や想像といった能力は、はかないものなのだ。
だから、ステージや画面を見て爆笑する時も号泣する時も、恥じることなく正直に、派手に、感情表現しようではないか。素晴らしい何かに出会った時は、立ち上がって拍手しようではないか。気持ちが昂ってきたら、踊り出そうじゃないか。
それは、我々が人間である証なのだから。
なぜわれわれがダンスするのかって?
われわれは生きているから、
石ではないからダンスをするのだと思う。
いままでに石がダンスをするのを見たことがあるか?
── あるアフリカの学者
ジェラルド ジョナス 著, 田中祥子, 山口 順子 訳
『世界のダンス―民族の踊り、その歴史と文化』より
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