• ヲノサトル

夏はローマ風にやろう


毎年、夏になると思い出すのが、この本だ。

加藤和彦

優雅の条件

生前の加藤和彦さんと言えば、音楽に限らず様々な事にスタイリッシュな一家言ある人として有名だった。本書は、そんな彼の視点で食事、着こなし、旅…などライフスタイル全般について描かれたエッセイ集だ。

この中に「夏はファッチャーモ・ロマネーラ(ローマ風にやろう)」という章があるので、引用したい。

ロマーノ(ローマ人)は暑くてもお洒落をしている。どういうわけかロマーノ達は夏になるとスーツを着ている。

<略>

ローマは暑い。日本の夏よりも暑い。しかしスーツにタイでゆっくりと歩いている。汗などかいてもやはり麻のハンカチーフをばしっと広げて汗をぬぐう。暑くても汗などかきません、てな顔をしているのはイギリス人でラテン系はばんばん汗をかいている。そしてゆっくり歩いているというのがコツで何事もせいてするともっと暑くなる。だからレイジーになる。夏とはレイジーなものなのだ。だからなんとなく優雅に思えてくる。Tシャツにショーツだと颯爽としてしまってあまり優雅ではない。

<略>

日本では戦前は(ぼくは知らないが)夏になると家々の前に床机などを出してワイワイとくつろいでいたというし、祖父などはパナマをかぶって日傘などをさして優雅に歩いていたものだ。暑いからエア・コンを入れる。Tシャツになってしまう。食欲がないから冷やヤッコだとなる前に、夏は暑いものと思ってしまえばよい。そしてそれを楽しむ方法をそれぞれ考えればよい。

要は「やせ我慢」こそ優雅の条件、というわけだ。

これは僕だけではないと思うが。たとえば高速道路でも車線変更を繰り返しながら、たかが一台二台追い抜くのに汲々としているクルマを見ると失笑してしまう。逆に、左車線を悠然と流しているポルシェやフェラーリを見ると「優雅だな」と思う。

常に余裕を持ってふるまうこと。そのためには自分の生理や欲望を自覚してコントロールすること。「優雅」とは何よりも、自分を客観視し、自分を律することではないだろうか。

とはいえ、本書の第一刷は1991年。この文章が雑誌連載のために執筆されていたのはその前の86年から89年というから、まさに日本全体がバブルに向かって右肩上がりだった時期。

本書にも

今時、だれだってアルマーニのジャケット着てマキシムにも食事くらいはいけますが

とか

しっかり働いてしっかり遊ぶ、そしてしっかり食べることがヤッピー達の条件でもある

など、いかにも「時代」を感じさせる描写が随所に。

今の時代にこんなこと言ったら、「アルマーニなんか買えません」「遊ぶどころか、食べていくのが精一杯」「優雅というより贅沢じゃないの?」と反発する方も多いのではないだろうか。

でも加藤さんが言っているのは、むしろ「貧乏でも、心の持ち方次第でいくらでも優雅に生きられる」という話だと思うのだ。

「金がないんだから、なりふりかまわなくても仕方ないっしょ」

「疲れたんだから、地ベタに座ったっていいっしょ」

「あいつ間違ってるんだから、いくらでも叩いたっていいっしょ」

と、なしくずしに「なんでもアリ」になってきているような今の世の中。

お金のあるなしにかかわらず「自分の中に何か規範やプライドを持って生きること」を提案しているこの本、今こそ大事なのではないかと思い、時々読み返している。

もちろん、ほとんどの場合「ああ、今日も自分は優雅にはふるまえなかったなあ…」と溜め息を着きながらではあるが。

優雅への道は遠い。


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