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[映画] ブリッジ・オブ・スパイ


大統領選候補者がイスラム教徒の入国禁止を訴えるような今のアメリカで、1950-60年代の冷戦時代 ー 全国民がヒステリックに「国家の敵」や「敵への協力者」を糾弾した時代ー を描く本作のような映画が作られた意義は、ことのほか大きいのではないか。

主人公の弁護士ドノバンは、はからずも共産圏スパイのアベルを弁護するハメになる。依頼人が「米国の敵」であろうと、引き受けたからにはとにかく「公正さ」にこだわるドノバン。そのため非国民と罵られ、自宅に銃弾まで撃ち込まれる。

「国家のためだから法なんか無視して我々に協力しろ」とCIAエージェントに迫られた彼は、こう答える。

「貴方は"ホフマン"、ドイツ系の名前だな。私はアイルランド系だ。そんなふうに出自の違う我々を、それでも『アメリカ人』と規定するものはただ一つ…『法』だけだ。だからこそ、それを曲げてはならないんだ!」

ヒステリックで不寛容なポピュリズム時代への、これは強烈なメッセージ。2016年の日本の我々にも、決して人ごととは思えずビシビシ響くストーリーであった。

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で、スピルバーグ映画の常連、ヤヌス・カミンスキーの撮影がとにかく素晴らしい。どのカットも工夫が凝らされていて、凡庸な画面が一つもない。とりわけ、頻繁に出現する逆光のシーンが見事。

また視覚的なモチーフとしては、何度も出てくる「鏡」と「扉」のモチーフに注目したい。

冒頭、アベルが絵を描いている様子が見える。カメラがひいて行くと、それがカメラに背を向けたアベルの鏡に映っているところとわかる。描かれている自画像と本人と鏡像、3人のアベルが一つの画面の中に並ぶ。

確かに身分を偽ったスパイだが、凶悪な犯罪者でもなんでもなく、国家のために働く凡庸な小市民であり、芸術を愛する非力な老人にすぎない。そういった彼のありようが、1カットで的確に伝わってくるファーストシーンだ。 これ以外にも、本作には重要な場面でたびたび「鏡」が出てくる。そのことは、冷酷な共産国家だろうと、それを糾弾する自由の国アメリカだろうと、国家主義が個人を圧殺する面では結局のところ鏡像のように似ていることを、象徴しているかのようでもある。

さらに、重要なシーンには、しばしば「扉」が出現する。

敵スパイを弁護するドノバンを弾劾し、自宅まで集まってきた群衆の前で、玄関扉をピシャリと中から閉めるドノバン。これは戦闘開始の合図だ。

あるいは、雪降る中ようやくたどり着いたソ連大使館の大きな外扉。中に入っても扉、その奥にまた扉。それは、正体にも真意にも迫ることのできない国家という大きなシステムの象徴でもある。

といった具合に、台詞や直接的なメッセージだけでなく、視覚的なモチーフによって観客にメッセージを伝えてくる、洗練された映画技術。

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そんな洗練された表現によって、けれども、この映画は「言葉の力」こそを訴えている。 劇中、交渉のプロであるドノバンは、言葉を重ねて相手を説得することだけで、何度も窮地を切り抜けてみせる。

言葉が人にポジティヴな未来を想像させる時、ネガティヴな未来だって変えることができる。国家やシステムという強大な力に個人が対峙する時、言葉と想像力こそが最大の武器になる。そこに希望がある。

そんなことを感じさせてくれる映画であった。

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