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祭りは終わらない - "新世界"という空間 (1)


写真 (C) 田中聖太郎

東京西麻布のライブハウス<音楽実験室 新世界>が、今年(2016年)の4月1日で閉店することになった。 <新世界>としてのオープンは2010年だが、パフォーマンス空間としての歴史は長い。1966年、<アンダーグラウンド 自由劇場>という名で、創立したばかりの劇団<自由劇場>の持ち小屋として営業を開始したという。

唐十郎<状況劇場>や寺山修司<天井桟敷>などの小劇場演劇が次々と生まれ、「アングラ演劇」と呼ばれるようになった時代のことだ。この空間は後に<オンシアター 自由劇場>と名を変え、79年の『上海バンスキング』(演出:串田和美、主演:吉田日出子)で大ブームを巻き起こすことになる。 もと芝居小屋だけあって、ライヴハウスとしては特異な空間かもしれない。さほど広くないが、天井が高いせいか閉塞感はない。コンクリート打ちっぱなしで配線やダクトは丸見え。地下室なのに、さらに地下へとオーケストラピットが掘られていたりする、変わった作りだ。 僕がここで最初の演奏をしたのは2011年3月17日。以来「本拠地」として、自ら主宰するほとんどの公演はここで行ってきた。長くなるが、ここでちょっと個人的な話をしておきたい。 + + +

2008年に妻をなくした。 それからは大学業務や音楽制作、関わっていたグループ(ブラックベルベッツや明和電機)のステージなど、やってくる「仕事」は粛々とこなしつつも、ソロ活動からは手をひいてしまった。精神的な虚脱感も大きな理由だったが、当時3歳の息子を抱え、日々の暮らしで精一杯なのが正直なところだった。 再び人前でソロ演奏を始めたのは、それから3年近くたった2010年12月のことだ。 旧知の建築家・相澤久美さんがオーガナイズし、これも旧知の音楽家・安田寿之さんがプロデュースする <We"hub"music!> というイベントに出演を依頼されたのがきっかけだ。

僕は、これまた旧知の(くどいようだが、新しい活動を封印していたので、まわりには旧知の友人しかいないのだった)チェリスト徳澤青弦くんをフィーチャーして、このイベントに出演し、自作を演奏した。 都会の真ん中にぽつんと建つ庭付きの一軒家「ラ・ケヤキ」 を丸ごと使った、ホームパーティのような温かく楽しい催しだった。(ここでのセッションは、この録音に残されている) ここで僕は、自分の曲を演奏する楽しさを思い出したのだった。 イベントの後、相澤さんは「西麻布に昨年、面白いお店ができたの」と紹介してくれた。それが<音楽実験室 新世界>だった。

お店に足を運んでみた。地下だけど天井が高くて、ちょっと変わった空間。面白いじゃないか。徳澤くん、ケヤキで出会ったギタリストの助川太郎さん、そして(これまた旧知の)パーカッショニスト朝倉真司くんに声をかけ、自分の音楽をやる単独ライヴを翌3月に行うと決めた。新曲を書き、着々と準備を進めていった。 そんなライヴの前週の金曜日、あの東日本大震災が起きた。

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週が明け、とりあえず予定通りスタジオにメンバーを集めてリハーサルはしたが、僕は迷っていた。

都内では、ほとんどのイベントが中止になっていた。余震が続く中、帰宅難民を恐れた人々で駅はパニック状態。繁華街も節電のため灯りを消し、コンビニやスーパーからは食料品がなくなり、ガソリンスタンドには車の行列。いつ停電になるかもわからない状態。 こんな時にライヴやってる場合か。いやそもそも、お客さんなんて来るのか。考えた末、お店に電話した。

「ライヴは中止にしようと思います」

(後篇に続く)

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#告知 #雑感 #音楽

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