「文章力」となんとなく呼ばれている技術は、コンテンツそのものと、ユーザーインタフェース に分解できる。インタフェースを工夫するだけで、同じ文章でもぐっと読みやすくなる。
個人的に「いいな」と思う書き手は、大体この「文字によるデザイン力」にたけている。言い換えれば、難しいことを簡単に伝えることに「思考のコスト」を費やしている。
(ただし、あえて難しく書いて「思考のコスト」を読者に費やさせる書き手も、いちがいに悪いとは思わない。それもまた読書の快楽の一つだからだ)
ツイッターという短文でうまいこと言う人は、短文を「デザイン」するために、自分の中で思考のコストを費やす習慣ができてるので、会って話しても楽しいことが多い。なぜなら会話は基本、短文のやりとりだからだ。
時々、会話でも「長文」型の人がいる。ふつうなら「で、君は?」とか相手にふるのに、延々と一人で「演説」を続けるタイプ。(教員にけっこう多い……自戒自戒)
人様に文章指南するなどおこがましいが、あえて言わせていただく。
センテンスは、短ければ短いほどいい。切ることだ。先に出版した翻訳で心がけたのも、訳文にありがちな「正確な直訳をめざすあまり、係り結びにこだわった長ったらしい日本語」を避けることだった。
それに気づかせてくれたのは、多摩美大で先輩教員だった作家の青野聰さん だ。
彼の文章もメールも、とにかく基本単位が短い。切れる限り、切る。もちろん小説では、あえて長文を駆使することもできる人なのだが。
なるほど 「名人」というのはこういう書き方をするのかと、勉強させてもらった。
(2019.4.3)