文芸も音楽も映画も、短くまとめるのが得意な人と、じっくり長大なものが得意な人に分かれると思う。性格のちがいだ。
偏見だが、行列に並んだり、温泉やサウナで長時間ぼーっとしていられたり、試験監督としてただ教室に佇むことが苦にならないタイプの人は、長編に向いてる気がする。
(こういうことを書くのは、自分が行列もサウナも試験監督も、ものすっごい苦手 で、20秒ぐらいで退屈になって出て行きたくなる性格だからにほかならない)
ただし、こんな人間でも長編を作ることはできる。そのコツは「分割して統治せよ」。
じっくり長い一筆書きはできなくとも、細かくモジュールに分けて制作したパーツを、最後にくっつけて長大な作品に仕上げることはできる。ブロックごとに短い目標を設ければ、長距離を走り抜けることだって可能なのさ。
あと世の中には、ポンとひとこと気のきいた短い単語を発するのが得意な人と、ダーッと長い文章でうまく説明するのが得意な人がいるよね。
また、話し言葉の場合も、その場の思いつきで即興的にしゃべるのが得意な人と、あらかじめいろいろと準備しておいてしゃべる方が得意な人に分かれる気がする。
なので、大事なのは能力よりも、こういった自分特有の「性癖」的なものが、外部から求められる「場面」とうまくマッチングするかだと思う。
たとえば、長文が得意な人ならツイッターよりも、ブログやnoteみたいな長文メディアを主戦場にした方が、実力を発揮できるという話でした。
(2019. 2.1)