ヲノサトル

2017年2月14日3 分

速読という技術

最終更新: 2019年9月20日

「速読」というキーワードで検索すると、「速読術」やら「速読トレーニング」やら、実にさまざまな指南サイトが出てくる。


 
考えてみれば今ほど多くの人々が、大量の文章を日常的に読む時代はないのかもしれない。


 
スマートフォンとネットの組み合わせは、日々の読書量、いや「読文量」を圧倒的に増やした。
 

SNS、ネットニュース、まとめサイト……膨大なコンテンツを目にする現代、速読はもはや一つの「たしなみ」とすら言えるのではないか。
 

 

 
個人的には、速読のコツとは「全文を読む速度」を上げることよりも「"読む箇所"と"読まない箇所”を識別する速度」を上げることだと思う。
 

車の運転にたとえるなら、ブレーキとアクセルの踏み換え、ギヤチェンジの感覚が必要だ。
 

「自分には不要」と判断したらアクセル全開でバンバンすっ飛ばす。「これは」という文に出会ったら急ブレーキをかけ、低速でじっくり味わう。
 

 
目にしている文章の、どこが必要か不要かパッと見てわかる「勘」を身につけるには、まずは大量の「精読」によって文章というものの組み立てに慣れるのが、遠回りだが有効な方法だろう。
 

もう一つは、自分なりのテーマや目的や問題意識を明確に意識し、そこから外れる部分はどんどん捨てていくことだ。
 

著者の言いたいことを一言一句読み取らなければ……なんて真面目に思いつめる「善人」ではなく、著者など無視して自分に都合の良いところだけ勝手に拾い読む「悪人」になり切る。これが速読のコツだ。
 

 

 
ちなみに当方は展覧会などでも、ピンとこない作品はチラリと見て、いやチラリとも見ずに、通過してしまう「悪人」である。
 

展示会場を全部じっくり見ていったら目も足も疲れて、最後の方の作品はあまり印象に残らなかった……なんて経験、ありません?
 

「これぞ」という作品との出会いに余力を残すため、自分には不要と判断した作品は「捨てる」のも、鑑賞のうち。


 
また、そういうことが可能なのが、実時間に縛られる「映像」や「音楽」や「パフォーミング・アーツ」のような表現形式とちがって、鑑賞者が自分の裁量で所要時間や観る順番などを決められる「書物」や「展示」の、大きなメリットだ。
 

 

 
さて、そうやって、速読で節約した時間を何に使うか?
 

もちろん、読書ですよ。
 

筆者や編集者や装丁家の意図をあれこれ推察し、描写された場面を思い浮かべたり、いろんなことを連想したりしながら、一言一句飛ばさずに、じっくり作品と向き合う。
 

そんな贅沢な時間を確保するためにこそ、日頃の速読が役に立つ。
 

お金にたとえるなら、日頃コツコツ節約して、ここぞという時に豪遊するような、メリハリある人生。
 

速読とは、人生を楽しむための技術なのだ。
 

 

#雑感 #発想

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