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  • ヲノサトル

[映画] キャロル


最初から最後まで、とろけるような風合いの画面と、惹かれあう二人の心情の移り変わりというものを、ぼーっと眺め続けてしまった。これは実にエレガントでノスタルジックなラヴ・ストーリー。

エレガントさは、もちろん女優二人の演技と存在感に拠るところが大きい。けれどもそれ以上に、演出の細かさにうならされた。 好きな人が初めて何気なく手を触れてきた時ちょっと身体が固くなる感じとか。会話がはずんできた時のほぐれた表情とか。二人だけに通じる一瞬のウィンクとか。そういった恋人たちの感情の機微が、言葉ではなく映像で、細かく細かく積み上げられていく。 また1950年代のニューヨークを再現した美術や衣装、16mmフィルムで撮影したという画面や光線のなめらかな質感が、映画全体になんともノスタルジックな空気を与えている。 そもそも「ノスタルジー」という言葉の原義は、離れてしまった故郷や、とりかえせない何かを懐かしむこと。だとすればノスタルジックな感情の持続こそが「恋」なのかもしれない。 まだ打ち解けていない最初のドライヴで、好きな相手の写真を遠くからこっそり撮ってしまう場面がある。後に相手と離れてしまった後、身辺整理している時その写真が出てきて、思わず手が止まるシーンが素敵だ。決して取り戻せない過去の時間を切り取って残す、写真というメディアのノスタルジー。

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ところで、本作は「窓」の映画でもある。ここまで窓が出てくる映画、窓越しに撮影されたショットの多い映画も、珍しいのではないか。

心乱れてカフェの窓から街路を眺める場面。新聞社でどうでもいい男に迫られるところを窓外から捉えた場面。パーティで心ここにあらずの彼女を窓外からとらえた場面…… とにかく多くのシーンに窓、窓、窓が出てくる。 たとえば冒頭、別れた恋人が街路にいるのを車の中から見つめる場面のカメラは、水滴で覆われた車窓の外からヒロインをとらえる。薄暗い車内で彼女の表情は判然としないが、窓には水滴がしたたり、まるで涙を流しているかのように見える。 あるいは二人が幸福なドライヴを続ける場面。ちょっと汚れた車窓からは外の景色があまりよく見えない。ここでの車窓は二人を外界から切り離すシールドだ。車は、外界や世間から恋人たちを守ってくれるシェルターでありコクーンなのだ。だから逆に車窓の外から二人が映される時、観客(=世間)は、楽しそうにしている恋人たちの会話を聞くことができない。 後日、別れた相手を路上に見つける場面でも、車窓は外と中を隔てる、今度は哀しいシールドとして機能する。向こうに姿は見えているのに、もう触れることができない。そのもどかしく切ない距離感が、窓によって伝わってくる。

というわけで、これからご覧になる方は、なぜこの場面に「窓」が使われているのか? この場面での「窓」はどういう機能を持っているのか? と、ちょっと気にしながら観るのも面白いのではないかと思います。

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