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  • ヲノサトル

大学は無駄か


昨今、「実学」の観点から「大学には無駄が多い」と言う人が増えてきた。その通りだ。たとえば大学には、無駄な時間がたくさんある。だがそれが大学の、最大の強みだ。

そもそも、美大に入学しなくても今どき、絵の描き方やデザインのコツ、アプリの使い方を学べる場なんか、いくらでもある。ネットで独学だってできる。

とはいえ、ある領域に特化して個別に習得した、それらの専門的な技能や知識は、情報という観点では、バラバラな「データ」にすぎない

誰もが持てる「データ」というカードだけで勝負するには、人生というゲームは複雑すぎる。また、そのデータがこの先ずっと役に立つとも限らない。

けれども、自分なりの観点や組み合わせで「データ」を並べ直し、新たな意味を加えて、オリジナルな「インフォメーション」をいつでも作り直せる力があれば、ゲームの条件がどう変わろうと、対応していけるだろう。

それには、目の前のカードを眺めているだけでなく、カードを並べたテーブルを、一つ上のフロアから俯瞰する必要がある。そのとき役立つのが「教養」だ。

教養は、自分が身をおくフロアの外に抜け出すための、「忍術」のようなものだ。自分にとっての専門外、常識外、予想外の領域を学べば学ぶほど、自分は自分から自由になれる

もちろん「忍術」である以上、頭で理解するだけではダメだ。いつでも技が駆使できるよう、無意識にでも使えるよう、じっくりと身体にしみこませなければ。

それには、手当たり次第にためしてみたり、わからないことをわからないまま受け止めたり、とりあえずやってみてまちがったりするための「無駄な時間」が、どうしても必要なのだ。

大学は、そのためにある。

(2019.6.9)

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