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  • ヲノサトル

翻訳と編曲


自分で文章を書くのと他人の文章を翻訳するのでは、脳の使い方がちがう気がする。ゼロからの作曲と、他人が作ったものを編曲するのにも、そういうちがいがある。

どっちかしかできない人もいるが、両方できると、一方をもう一方の気分転換にできる ので、精神衛生上たいへんよろしい。


ただし、翻訳にも編曲にも、絶対に必要なのは 著者や作曲家への愛と敬意 だ。

「これは日本語にはない、難しい言い回しですな…だが言いたいことはわかりますぜ。ようがす!日本人に伝わるよう、あっしがこんなふうに言い換えてみせましょう!」と侠気を見せる職人芸、それが翻訳だし、

「ふうん…アンタ化粧っ気ないけど、なかなかどうして素敵じゃないの。磨けば光るね。ようし、アタシに任せなさい!」と張り切ってメイクやスタイリングしてみせ、最高に輝くシンデレラに化けさせるのが、編曲という職人芸だ。

もっとも、12時過ぎたシンデレラのように、時代や流行が変われば鮮度が落ちる場合も多いのは、編曲の辛いところではある……

試験問題とかの堅苦しい「英文和訳」と、書物としての「翻訳」のちがいは、「正確さ」と「読みやすさ」のさじ加減 ではないだろうか。

そして、翻訳で迷ったら「間違いではない」と言えるギリギリまで「読みやすさ」にこだわるべきだ。読まれない文章が理解される日は永遠に来ない のだから。

ところで翻訳といえば、拙著『甘い作曲講座』

2006年に翻訳出版された 韓国版 というのが今なお販売されていることを、このあいだ届いた印税の支払通知で知った。ありがたいことです……

しかしハングルが読めないので、どういう「さじ加減」で翻訳されているか、全くわからない。

そこで、ためしにgoogle翻訳にタイトルを入れてみたら『恥知らず作曲法』と翻訳されました。 お、おう…… そんな感じの本なのは確かです……。 (汗)

(2019. 6. 21)

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