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  • ヲノサトル

個が個でいられる集団


先日のCo.山田うん公演「舞踊奇想曲 モナカ」について、こんな感想を書いてくださった方がいらっしゃった。 「全体的に明るくエネルギッシュで、元気の出る公演でした!安保法案の件で暗い気持ちのまま行ったので、私にとってはそれがとても良かったです。皆が一様に考えることを強制し違うものを排するのではなく、個の考えがありながらも秩序を保つことができる。そんな有機的な社会を、前向きに考えていけたらいいよなぁ。」(分からないけど、面白い。 コンテンポラリーダンスを見るひと初心者のブログ) 本当によく観てくださっているなあ。こういうふうに捉えていただけたなら、作り手としても本望である。 山田うんさんや、カンパニーのメンバーがどう考えているか訊いたことはないけど。稽古や日頃の様子を眺めていると、まあメンバーそれぞれ実にバラバラな考え、バラバラなスタンスに見える。昨今流行りの「集団行動」やら「組体操」のような、「一丸となって」「統率のとれた」感が、全くない。そこが気にいっている。 というのも当方、どんな集団であろうと「個が個であることで、集団として最高のパフォーマンスを達成する」そんなありかたが理想だと考えているからだ。 音楽で言えば、ジョン・ゾーンズ「コブラ」とか。大友良英さんが続けている雑多なアンサンブルとか。違ったバックボーンを持った人間が集まり、その違いによって何かを成し遂げる、というプロットが好きなのだ。 それは、ひょっとしたら幼少期から繰り返し観てきた「七人の侍」「大脱走」「ナバロンの要塞」といった映画や、「ワイルド7」だの「ルパン三世」だの「アパッチ野球軍」だのといったマンガの黄金パターンである「特技を持ったクセのある輩が集まってドリームチームをつくる」…みたいな設定に、いまだにカブれているからかもしれないけれども…。 バンドだって、全員が一つのジャンル出身のバンドよりも、ブルースギタリストとヘビメタドラマーとジャズベーシストとクラシックピアニストが集まったバンド…みたいな方が、異種交配の突然変異が起こりそうではないか。 当方が大学で担当している音楽ゼミも、全く違ったバックボーンを持つ履修者が集まることで、単一の音楽ジャンルをきわめるよりも豊かな音楽経験が得られるような方向をめざしている。 こういう考え方は、リスクヘッジでもあると思う。 たとえば全員が真剣に同じ方向を見つめるよう強制されているような社会だと、その社会が想定もしていなかった危機が訪れたとき、誰も対応できなくて滅亡するかもしれない。 全員がバラバラな方向を見つつ、それぞれ自由に好きな事をやってる社会の方が、大きな変動が起きた時にもその中の誰かは対応できたりして、結果的に存続できるのではないだろうか。

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