DJバカ一代
高橋透, リットーミュージック, 2007
九十年代初頭、<ゴールド>のフロアに漂っていたド変態ヴァイヴが、現在のクラブ空間には果たして存在し続けているのか?あのディープ&ド変態な血を絶やしてはいけない!失われたヤバいヴァイヴをフロアに取り戻したい
- 宇川直宏
これは、五十歳台で今も現役のスーパーDJ、高橋透さんが半生をふりかえる自伝だ。
あるいは、臨床記録のような克明さで「人はいかにしてDJになるのか」を活写した、貴重な一時資料と言ってもいいだろう。その資料価値を支えているのは、無数の詳細な記録=記憶だ。
写真、地図、図面、人名や固有名詞、様々な事件とその年代、果ては当時のDJのギャラ金額だの、月に何枚レコードを買っていただの、感心させられるほど細かく積み上げられたデータが、高度経済成長時代の空気をリアルに感じさせてくれる。
地方の若者が上京して下積みから始め、海外に雄飛し、帰国してビッグなプロジェクトに関わっていく……という半生は、好景気な時代ならではのサクセス・ストーリー。そしてそれは日本の若者文化=夜遊びカルチャー全体の「右肩上がりな成長」と、完全にシンクロしていた。
アメリカ文化への渇望。輸入文化としてのソウルやファンク。「ディスコ」の全盛時代。ディスコから「クラブ」への変化。巨大化していくクラブカルチャーとバブル経済…… 「時代」と「空気」の変遷をDJの現場から定点観測した一種のドキュメンタリーとして、本書を読む事もできるだろう。
とは言え物語の真の主役は、実は著者が深く愛した2つの伝説的な「ハコ」だ。一つ目は、オーディエンスとして彼が通いつめたNYの伝説のクラブ「パラダイス・ガレージ」。
「今考えれば<パラダイス・ガレージ>はダンスクラブの学校のような場所だった。<略> 同じ時期に、マスターズ・アット・ワークのルイ・ヴェガや、ケニー・カーペンターなど、ありとあらゆるDJが生徒として踊っていたのだ。<略>いわばラリーが先生で、みんなその授業を楽しみにして行っていた」
と熱く語られるように、この店のレジデントDJ ラリー・レヴァンは、ハウスDJスタイルのオリジネイターとして、亡くなった今もなお世界中でリスペクトされる存在だ。
本書では当時のパラダイス・ガレージについて、客層や雰囲気だけでなく、ラリーのDJスタイルの技術的な分析や、それによってどのような感動が創出されたかというサウンドの効果についても語られていて、興味深い。
そして二つ目のハコ、すなわち立ち上げから著者が参加した伝説のクラブ「ゴールド」に関する様々なエピソードが、もう一つの読みどころだ。
バブル頂点の1989年12月、東京芝浦に生まれた巨大クラブ、ゴールド。
NY直輸入のスーパー・サウンドシステム!
直径1mの巨大ミラーボール!
地上7階建ての倉庫を丸ごと改造して、総工費15億円!
全てが空前絶後の規模で、その理想は著者がパラダイス・ガレージから受け継いだものであった。それは、それまでの日本にはなかった「サウンドの快楽」を極限まで追求するクラブというコンセプトだ。
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ここからは、ぼく自身の「ゴールド」体験を話そう。
一足先に「ゴールド詣で」した友人に「どうだった?」と尋ねると、異口同音に「とにかく音が良かった」と語るではないか。あわてて駆けつけたところ、確かに音量・音圧はかつてないほど大きい。だが不思議と疲れない、ファットで温かい音だった。
空間の巨大なスケール感。倉庫むき出しな内装のクールさ。何でもありだし、何かが起こりそうと感じさせる猥雑さ、妖しさ。なんとも麻薬的な魅力を感じた。
中でも記憶に残っているのが、本書でも触れられている「エコ・ナイト」だ。それは当時、アメリカ西海岸のアンビエント/チルアウト系カルチャーと連動して「サイバー美学」を提唱していた武邑光裕氏のパーティだった。
ハウスともインダストリアル・ビートともつかない冷徹な音響空間で、ピアッシングやボンデージといったアンダーグラウンドなパフォーマンスが行われ、サイキックTVなどのノイズ系ミュージシャンが来日出演したものだ。
当時はまだダンスミュージックのジャンル細分化が進む前のことでもあり、ハウス、テクノ、ニューウェイヴからノイズまで、分けへだてなくエッジのきいた音楽やパフォーマンスに出会うことができた。
そう、パラダイス・ガレージが著者にとって「学校」だったのと同様に、著者が作ってくれたゴールドも、ぼくや無数のオーディエンスにとって一種の「学校」だったんだ。そのことを、本書は思い出させてくれた。
(2007年8月30日)