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ダンス音楽ブックレビュー

ニグロ、ダンス、抵抗 ― 17~19世紀カリブ海地域奴隷制史

ガブリエル・アンチオープ (訳: 石塚道子) 人文書院, 2001

 

売りたし、肢体美麗なニグロ男性1名、年齢16歳程度、召使として良し、素直で従順、フランス語を話し、高度なダンス含めあらゆるダンス可。

 

- 18世紀の新聞広告より

18世紀。ヨーロッパの宮廷で貴族たちが優雅なバロック・ダンスを踊っている頃、カリブ海の農園では、アフリカから拉致されてきた奴隷たちがダンスに情熱を傾けていた。


本書は、様々な古文書や手記、新聞記事、聞き書きなどの稀少な資料を精査し、カリブ地域の奴隷制社会を、支配者と奴隷の双方を含めた一種の動的な経済=文化システムとしてリアルに描き出している。

 

当時、支配階級である白人たちの人数は少なく、ニグロ奴隷たちの方が圧倒的多勢であった。たとえば18世紀のサン=ドマング島では、3万5千人の白人が50万人の奴隷を支配していた。そのため白人たちは、奴隷の抵抗や叛乱を何よりも恐れていた。

 

「気晴らしする民衆は陰謀を企てない」 と考えた彼らは、「もっとも優秀で規律正しいニグロは、規則的にダンスをしている者である」とし、公認のダンスという娯楽を与えることで、言わば奴隷たちの「ガス抜き」をはかった。

確かに、奴隷にとってのダンスは祝祭にほかならない。それは過酷な強制労働という日常の時間を切断し、現実からの逃避を可能にする娯楽であり、気晴らしであり、新鮮な空気穴であった。白人には信じがたい疲れ知らずのエネルギーと情熱で、彼らは一晩じゅう踊り続けたという。

また白人たちにとってもダンスは祝祭であった。当時の農園主たちの生活は実に単調なものだった。そのうえ彼らにはヨーロッパへの帰還願望やコンプレックスが強かったため、宮廷ふうの舞踏会をたびたび催した。

 

そこでは黒人奴隷が完璧なマナーでヨーロッパふうの宮廷ダンスを踊る倒錯的な光景もみられたという。ダンスに長けた奴隷は注目を浴び、パフォーマーや教師として活躍できた。そうした奴隷を抱えていることは、農園主にも名声と副収入というメリットをもたらした。

しかし、こうした支配者のコントロールを逸脱し、定められた日以外に奴隷が集まって踊ったり騒いだりすることは、死刑に値する重罪とされた。白人の目のとどかないところで行われる集会は、サボタージュや逃亡や叛乱につながる不穏な運動と考えられたのだ。

 

けれども、いかに禁止され、厳罰が課されようと、夜の闇にまぎれて農園を脱出し、他の連中と合流して非合法のダンスに熱中する奴隷は、あとをたたなかったという。

 

それは、苦痛に満ちた毎日の中で、ダンス空間だけが「匿名のニグロ」から「本来の自分」へと、つかのまにして永遠の逃亡を果たすことができる唯一の場所だったからにほかならない。

 

(2007年2月10日)

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