DJカルチャー ― ポップカルチャーの思想史
ウルフ・ポーシャルト (原克:訳), 三元社, 2004
昔なら、クールな野郎たちは、ギタリストかボーカリストになりたいって夢見てた。でも今や、DJになりたい、パーティやクラブでレコード盤を廻したい、一日中でもコンピュータで楽曲をコンポーズしていたい。これが彼らの夢なのさ。
- ウルフ・ポーシャルト
ポップミュージック研究、特にカルチュラルスタディーズ寄りの文献は英語圏のものが多い印象がある。さすがはUK=ロックの本場。
だったらテクノの本場は?……というわけで、本書はテクノ王国ドイツ発の、DJカルチャー俯瞰図。
原書は「ヒップホップ」「ハウス」などジャンルを分けて音楽シーンについて詳述もしているブ厚い書物らしいが、本書はその中から「理論部分」のみを抄訳したとのことで、コンパクトにまとまった一冊。
翻訳の日本語は「~なんだ。」「~ってわけ。」といったカジュアルな語尾で、ストリート感を強調。ちなみに原文も、お固い論文調ではなく、軽妙なエッセイ風のドイツ語らしい。
ただし内容は決して「軽い」ものではない。これはDJ文化のガイドブックではなく、DJ文化について考察する「思想書」なのだ。
雑誌やアーティストの発言など様々なテキストを引用しながらそれぞれを結びつけ解釈していく手法は、フーコー言うところの「知の考古学」に近い。また音楽スタイルや方法論といったソフトと、音楽機材やテクノロジーの進化などのハードを結びつけて論じる手法は、キットラーを思わせる多層的な分析スタイルだ。
そこに浮かび上がってくるのは、「DJカルチャー」という言葉から連想されるであろう、ある狭い領域としてのクラブ・ミュージックではなく、ポップ・ミュージック全体の歴史そのものと言っていい。
振り返れば、20世紀のポップスは、ラジオ、レコード、サンプラーなど、その時々のテクノロジーを利用し、コラージュし、ハッキングして次々に新鮮な音楽文化を生み出し続けてきた。
そうした中で、なしくずしに進行してきた音楽のポップ化。それは文化的なエリート主義からの進化であり、これまで『ポピュラー音楽をつくる』(トインビー)や、『その音楽の<作者>とは誰か』(増田聡)といった多くの書物で語られてきたように「特権的作者が消滅するプロセス」でもあった。
だが著者は、作者の消滅イコール音楽の衰退とは捉えていない。最終的に享受される「場」がある限り音楽は発展し続けていくだろう、と、その見通しは楽観的だ。
本書は、次のような言葉で締めくくられる。
何万人という人間が集まりながら、誰ひとりとして、なにか超越的な理屈とか、ユートピア的な未来像とかいったものに惹きつけられているわけでもない。それでも、一緒になってデモンストレーションしてる。そんな連中を見てると、ラブパレードの三日間だけは、信じてもイイかなって気分になるんだ。
(2007年8月15日)