ダンス音楽ブックレビュー
総特集 ワールド・ミュージック ― 音、共同体、テクノロジー
ユリイカ 臨時増刊, 青土社, 1990
現在では本書の入手は困難と思われるが、先の『アフリカ音楽の想像力』を補完する資料として挙げておく。
本誌でワールド・ミュージック代表として取り上げられているのは、たとえばジプシー・キングス、3ムスタファズ3、ナジマ、サリフ・ケイタ、マラヴォワ、ブルガリアン・ヴォイス… といったラインナップ。彼らが大ヒットを飛ばしていた、90年代の「ワールド・ミュージック現象」を追体験するのに手頃な1冊だ。
「都市化の中の民族音楽」(藤井知昭)、「『ワールド・ミュージック現象』は『パリ病』の再発か」(小川博司)、「ロックと非-西欧 不自然な共犯関係を」(大里俊晴)など、興味深い論考がたくさん詰まっている。
ここでは、その中でも『アフリカ音楽の想像力』に関わるテーマの2篇を紹介しておきたい。
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西江雅之「さあ、一緒に踊ろう!』」
スワヒリ語の『Tupige ngoma』は「さあ、一緒に踊ろうよ!」という意味を持つが、文法的には「踊る」という単語は入っていない。直訳すると「我々は太鼓を打とう」という意味になる。
このように、アフリカには「ダンス」や「音楽」を直接さす言葉を持たない言語が多い。逆に言えばダンスや音楽は、必ずや「場」や「時間」や「環境」と結びつくものであり、決して自立的・孤立的な存在ではなかった……と、言語学の面からアフリカ音楽におけるダンスの意味を論考する内容。
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塚田健一「民族・舞踊・音楽 - 融合と土着化」
アフリカ中央の小さな町で開かれる即席ディスコ。ローカルなポップスが流れるが、集まって来る若者たちの踊りは意外にも部族の伝統的なダンスに酷似していた……
という筆者の体験談から、異文化との接触におけるダンスの変容には「シンクレティズム」(融合)と「インディジェニゼーション」(土着化)の両面がある、と論じる文章。
前者の例としてバリ島の芸能、また後者の例としてはポリネシアのトンガ島などが紹介される。結局のところ外的要因よりも、集団の当事者による「意思決定」の度合いによって文化の変容は左右されるのではないか、という考察だ。
この論文で余談として語られている、次の話が興味深い。
15年ほど前、東京では夏の盆踊りの若者離れが目立ち、問題になったことがある。このままでは伝統的な盆踊りが廃れてなくなってしまうというわけである。関係者はなんとか盆踊りの古いイメージを変えて若者たちを引きつけようとアメリカのフォークダンスを盆踊りに取り入れた。炭坑節の次にフォークダンスの「オクラホマ」が鳴った。そして若者たちはやぐらの下で丸くなってフォークダンスを踊ったのである。これには賛否両論が起こったが、結局なんの効果を上げることもなく、数年後の盆踊りのこの珍妙な習慣は終わりを告げたという…
やぐらの下でフォークダンスとは笑うしかないが、このダサダサな和洋折衷感には、むしろ強烈に「日本的」な何かを感じないか。
靴を脱いでフローリングの部屋に上がり、とんカツやあんパンを食す和洋折衷な生活感覚。そうした「融合」と「土着」のせめぎあいこそが、時として新たな音楽文化を生み出すパワーになっていく。そんなポジティヴな視点も、ここには浮かび上がってくる。
(2007年2月16日)